1200余年以上前の平安時代に書かれた「源氏物語」は稀代の小説であると世界中から絶賛され、いまなお多くの人たちに愛読され続けています。日本においては小説という形態だけでなく、古典文法の題材として、また平安文化の象徴として、教科書などで紹介されています。
「源氏物語」はその作品性において、類まれなる評価を与えられていますが、日本教育の弊害か、古典文学というだけで拒否反応を示す人も少なくありません。小説ということを忘れ、文法と解釈のみに専念する教育では、この作品の素晴らしさのかけらも理解することは困難だと思います。
拙論では、初心者の方や古典が苦手な方を対象に、できるかぎり優しく源氏物語の世界を紹介したいと思います。私も初心者ですので、皆さんにわかり良いように説明できるか自信がありませんが、いましばらくお付き合いくだされば幸いです。
源氏物語に限らず、古典といわれるものは登場人物を把握するのに苦労します。現代小説ならば、固有名詞で登場するので、比較的簡単に覚えることができるのですが、古典は代名詞で人物が呼称され、その代名詞の意味するところを知らなければ登場人物などいつまでたっても把握できるものではありません。
平安王朝は、人物名は役職名で呼称されるのが一般的でした。たとえば、帝(みかど)や御息所(みやすどころ)女御(にょうご)などです。これらの役職名に人物ゆかりの名詞を付けて、個人を特定したのです。
話を源氏物語に戻しますが、源氏物語の序盤(若紫の章ぐらいまで)に登場する人物は次の通りです。
源氏物語の世界を理解するためには、当時の風俗や風習、文化などを知る必要があります。ここでは最低限押さえておかなければならないことだけを述べることにします。
当時の結婚は、男子が元服すると女性が添臥し(そいぶし)といって、一夜を共にします。その女性が正室になるわけですが、一夫多妻制ですから、正室以外にも多くの女性を妻に娶ることになります。通常、女性はそれぞれに別の屋敷に住んでおり、男子がそれぞれの女性の家に通う「通い婚」といった形態で生活を続けることになります。一夫多妻制ですから、それぞれの女性の他の女性への嫉妬などの感情は計り知れないものがあります。
一般的に源氏物語は「もののあはれ」と表現されます。これは寂しさの伴った深い情趣と解釈されています。また、権威ある人は「平安王朝の社会の総体表現を志向し人生の総価値批判」と説を唱えています。さらによりわかりやすい表現として「光源氏の栄枯盛衰」だとか「光源氏の恋物語」だとか評します。
私が思う「源氏物語」は、様々な女性の人間模様や嫉妬、妬みなどの軋轢を描いたものです。ある意味では光源氏は道化役を演じるだけであって、真の主人公は光源氏にまつわる女性たちにあるのではないかと思っています。
光源氏が多くの女性と通じることによって、それぞれの女性は傷つき苦悩します。藤壷の宮や紫の上も決して例外ではありません。藤壷の宮は、光源氏との不義の関係によって生涯を苦しみ、紫の上も光源氏の思いが自分ではなく藤壷の宮にあることを感じて苦しみます。
葵の上や右大臣六の君(朧月夜の君)や明石の君や六条の御息所など、光源氏に深く関わる女性たちの全てが妬み嫉みに自問自答し苦しむ生涯を終えるのです。