猫の事務所は宮沢賢治の作品です。何をいきなり宮沢賢治ですか?という疑問も多いでしょうけれど、日記のイメージを少し変えてみてってことで。
宮沢賢治の作品の中で好きなもののひとつなんですけれど、しばしば「猫の事務所」と比較される「よだかの星」は読んだことがなかったのです。で、今回猫の事務所について書くにあたって、よだかの星を読んでみたんですけれど、どこをどう読めば比較対象になるのか、ちょっと疑問。
共通することといえばいじめられてる主人公って部分だけじゃないのかしらん。ウェブ上でも、よだかはかわいそうって意見が多すぎなんですけれど、どういたしまして。よだかは悟りをひらいて星になって、最後的には救われてるじゃないですか。死んで浄土に行って・・・みたいな、宗教色の濃い作品でしょう。
一方の猫の事務所の主人公のかま猫は、努力すれども救われることなく、頭ごなしに「えい、解散を命ずる」と無理矢理に結論づけられてしまってます。よだかの星は一般的な生活の風景の中の描写ですけれど、猫の事務所は働く場(職場)という狭い空間の描写になっています。ふたつの作品の決定的に違う点は、この働いてるかま猫か、働いてないよだかか、って部分だと思うのです。
一人前のふりをして、地理だの、月給を上げただのといっても、所詮その程度のことなら、働くなんぞ10年早いわい!みたいな獅子の怒りが「ええい、やめてしまえ」なんでしょうけれど、猫ならそれでいいかもしれませんが、仮にヒトだったとしたら、やめてしまえと言われてもやめてハイおしまいというわけにはいきませんもの。やめずに何とか解決しなくては。そういう意味では、「僕は半分獅子に同感」なのかなぁ、みたいに思います。
そんなわけで、事務所で健気に頑張るかま猫が切なすぎます。仲間のかま猫のためにも頑張ろうとか、風邪を引いて云々のくだりなどは、涙なしには読めません。
主題としては、「働くってどういうことなのか?」ってことじゃないのかなと。よだかの星は「生きるってどういうことなのか?」ってことかなぁって。 だから、猫の事務所という作品をいじめや差別だけの問題として矮小化してしまうのは、ちょっと違うんじゃないの?と唐突に問題提起して、今回はおしまい。
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